野島春樹の沈思黙考

心に移ろいゆくよしなしごと

小林一茶(こばやしいっさ)

小林一茶(こばやし いっさ)は、

江戸時代後期を代表する俳人の一人で、松尾芭蕉与謝蕪村と並び称される存在です。彼の俳句は庶民的で親しみやすい「一茶調」と呼ばれる独特の作風で知られています。

 

  • 本名 小林弥太郎(こばやし やたろう)

  • 生年月日 1763年6月15日

  • 没年月日 1828年1月5日(享年65歳)

  • 出身地 信濃国柏原(現在の長野県信濃町

 

生涯の概要

一茶は信濃国柏原の農家に生まれましたが、幼い頃に母を亡くし、継母との関係が悪化したため、15歳で江戸に奉公に出されました。江戸で俳句と出会い葛飾派の俳諧師として修行を積みました。その後、東北や西国を巡る俳諧行脚を行い、俳句の腕を磨きました。

39歳で父を亡くした後、継母や弟との遺産相続争いに巻き込まれ、13年にわたる激しい争いを経験しました。50代に入ると俳人としての名声が高まり故郷に戻り俳諧師匠として活動しましたが、晩年は病気や火事などの不幸が続きました。

 

作風と代表作

一茶の俳句は、庶民の生活や自然、子どもや小動物をテーマにしたものが多く、擬声語や擬態語を多用した表現が特徴です。代表作には以下のような句があります。

  • 「やせ蛙 まけるな一茶 これにあり」

  • 「雪とけて 村いっぱいの 子どもかな」

  • 「我と来て 遊べや親の ない雀」

彼の作品は2万句以上にのぼり、その多作ぶりも注目されています。

 

一茶の影響

一茶の俳句は、明治時代正岡子規によって再評価され、自然主義文学の隆盛とともに広く知られるようになりました。現在でも彼の故郷である信濃町では、一茶にちなんだ行事や記念館が設けられています。

彼の人生は波乱万丈でしたが、その中で生まれた俳句は多くの人々に親しまれ、今なお愛されています。

 

 

小林一茶(こばやしいっさ)