野島春樹の沈思黙考

心に移ろいゆくよしなしごと

あたたかいコーヒーは心を癒す

幼なじみと夜の温かい一杯

 

薄闇が部屋を包み込む頃、恵のアパートからは、時折すすり泣く声が漏れていた。テーブルの脇には、涙で湿ったティッシュがいくつも重なり、恵は膝を抱え、ただ静かに、止めどなく涙を流し続けていた。数日前、何の前触れもなく届いた、彼からの別れのメッセージ。たった数行の文字が、恵の心に深く、鋭く突き刺さった。信じて疑わなかった未来が突然消え去り、恵の胸にはぽっかりと冷たい空洞ができたようだった。泣きはらした目は赤く腫れ上がり、顔には涙の跡がはっきりと残っている。

 

「どうして……っ、なんでなの……っ」

 

途切れ途切れの、か細い呟きが、静寂に包まれた部屋に虚しく響く。もう二度と、あの温かい手に触れることも、優しい声を聞くこともない。そう思うと、体の芯から冷え込むような孤独感が恵を襲い、涙がさらにあふれ出した。

 

その時、控えめなノックの音がした。恵は動くこともできず、顔を膝に埋めたまま、ただ泣き続ける。しかし、諦めることなく、再び優しいノックと、聞き慣れた声が聞こえてきた。

 

「恵、いるか? 心配で来たんだけど。もし大丈夫そうなら、少しだけ話さないか」

 

声の主は、幼なじみの悠太だった。恵からの返事がなかったため、様子を見に駆けつけてくれたのだろう。恵は返事を返す気力もなく、ただ涙を流し続けた。やがて、ドアノブがゆっくりと回り、静かにドアが開いた。

 

悠太は、傍らに置かれたティッシュと、うずくまる恵の姿を見て、何も言わずに部屋の中へ入り、恵の隣にそっと腰を下ろした。その静かで穏やかな存在感に、恵の心はほんのわずかに揺れ動いた。

 

「辛かったな。よく耐えたよ」

 

悠太はただ一言、そう言って恵の震える背中に優しく手を置き、ゆっくりと擦った。その温かい手に触れた瞬間、恵の涙は堰を切ったようにあふれ出した。今まで押し殺していたすべての感情が、一気に解き放たれるように、嗚咽となってこみ上げてくる。

 

「私……っ、どうしたらいいか分からなくて……っ。あんなに好きだったのに……信じてたのに……っ」

 

嗚咽交じりに絞り出す恵の言葉を、悠太はただ静かに耳を傾けていた。突然の別れがもたらした衝撃、描いていた未来が消えた喪失感、そして自分の存在さえも否定されたような深い悲しみが、恵を打ちのめしていた。悠太は恵の言葉を遮ることなく、ひたすらその悲しみに寄り添い続けた。「うん」「そうか」と、時折相槌を打ちながら、恵の心に寄り添うように静かに見守った。どれほどの時間が流れただろうか。恵の嗚咽が少しずつ落ち着き、肩の震えが小さくなった頃、悠太はゆっくりと立ち上がった。

 

「何か温かいものでも淹れるか? コーヒーはどうだ。体が冷えてるだろうし」

 

悠太の声は、いつものように落ち着いていて、優しい響きがあった。その声が、恵の凍りついた心にじんわりと染み渡るようだった。恵は小さく頷いた。悠太は恵が起き上がれるように手を差し伸べたが、恵は膝を抱えた姿勢のままでいた。悠太はそれを咎めることなく、静かにキッチンへと向かった。

 

キッチンからは、心地よい音が聞こえてくる。電動ミルがコーヒー豆を挽く、穏やかな音。そして、部屋全体に広がる、香ばしく、どこか甘さを感じるような、挽きたての豆の豊かな香り。悠太は丁寧にドリッパーにフィルターをセットし、挽いたばかりのコーヒー豆を盛り付ける。やかんからゆっくりと注がれるお湯が、粉の上でふわりと膨らんでいく。まるで呼吸をしているかのように、コーヒーの粉が膨らむ様子を、恵はぼんやりと眺めていた。悠太の手つきは滑らかで、まるで普段から恵のためにコーヒーを淹れているかのように自然だった。

 

数分後、湯気を立てるマグカップが恵の前にそっと差し出された。白い陶器のカップからは、香ばしい香りと共に、微かな甘い香りが立ち上る。

 

「はい、どうぞ。ミルクと砂糖を少し多めにしておいたよ。恵は普段ブラックだけど、今日は甘い方がいいと思って」

 

悠太が淹れてくれたコーヒーは、恵がいつも飲む苦味の強いブラックコーヒーとは全く違った。恵は震える手でマグカップの両側を包むように持ち、ゆっくりと一口飲んだ。温かい液体が喉を通り、冷え切っていた体と心に、ゆっくりと、しかし確実に染み渡っていく。ミルクのまろやかさと砂糖の優しい甘さが、恵の傷ついた心をそっと包み込むようだった。

 

「美味しい……」

 

恵の口から、ほっとしたような言葉が漏れた。その言葉に、悠太は静かに微笑んだ。悠太も自分のコーヒーを淹れ、恵の向かいに座った。二人の間に言葉はなかったが、温かいコーヒーの香りが満ちる空間は、不思議と心地よかった。冷たい孤独感は薄れ、代わりにじんわりと温かい安心感が恵の心を包んでいく。悠太の温かい眼差しが、恵の心をゆっくりと解きほぐしていくようだった。

しばらくして、恵がふと顔を上げた。まだ少し目は赤いものの、さっきまでの絶望的な表情は消えていた。

 

「悠太、ありがとう……」

 

恵の口から、ようやく笑顔がこぼれた。それはまだ小さく、か細い笑顔だったけれど、確かにそこにあった。無理に作ったものではない、心からの感謝が込められた笑顔だった。悠太は何も言わず、ただ優しく微笑み返した。その瞳には、恵を労わる深い愛情が宿っていた。

 

窓の外では、夜空に浮かぶ月が静かに光を放っている。時計の針はゆっくりと進み、夜は深まっていくが、二人の間に流れる時間は、温かいコーヒーのように穏やかで、そして確かな希望に満ちていた。恵の心には、温かいコーヒーの甘さとともに、悠太の変わらぬ優しさが深く刻まれた夜となった。