エリック・サティの生涯
幼少期と教育
エリック・サティ(1866-1925)はフランスのオンフルールで生まれました。父は船会社の経営者で、母はスコットランド系の音楽家でした。1870年に家族はパリへ移住しましたが、2年後に母が亡くなり、サティは祖父母のもとで育てられました。1879年にパリ音楽院に入学しましたが、教師から才能を否定され、1886年に退学しました。
モンマルトル時代と初期作品
1887年からモンマルトルに住み、カフェ「黒猫」でピアニストとして活動しました。この時期に「ジムノペディ」(1888年)や「グノシエンヌ」(1890年)を作曲し、独特の音楽スタイルを確立しました。彼は神秘主義的な傾向を持ち、1891年には「薔薇十字団」に参加し、宗教的な作品も手がけました。
変革と学び直し
1898年にパリ郊外のアルクイユに移住し、質素な生活を送りながら作曲を続けました。40歳を過ぎてからスコラ・カントルムに入学し、伝統的な音楽理論を学び直しました。この学びが後の作品に影響を与えました。
影響と革新
サティはドビュッシーやラヴェルに影響を与え、後のミニマル・ミュージックの先駆者とも言われます。彼の作品は調性や伝統的な和声進行を無視し、並行和音や反復を多用する革新的なものでした。彼は「家具の音楽」という概念を提唱し、背景音楽としての機能を持つ音楽を作曲しました。
晩年と死
1919年にはダダイズムの芸術家たちと交流し、バレエ音楽「パラード」(1917年)などを作曲しました。彼の音楽は現代音楽にも影響を与え、現在でも広く演奏されています。1925年に肝硬変のためパリで亡くなりました。
エリック・サティの音楽と影響
音楽の特徴
サティの音楽は、19世紀末から20世紀初頭にかけてのフランス音楽界において、革新的な試みを数多く取り入れました。彼の作品には以下のような特徴があります。
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調性の曖昧さ
- 伝統的な和声進行を避け、並行和音や非機能的な和声を多用しました。
- 「ジムノペディ」や「グノシエンヌ」では、静謐で夢幻的な響きを生み出しています。
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反復とシンプルな構造
- 彼の作品は短いフレーズの反復を特徴とし、ミニマル・ミュージックの先駆けとも言われます。
- 「家具の音楽(Musique d'ameublement)」という概念を提唱し、背景音楽としての機能を持つ音楽を作曲しました。
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奇抜なタイトルと演奏指示
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ジャンルの融合
影響
サティの音楽は、後の作曲家や芸術運動に大きな影響を与えました。
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- フィリップ・グラスやスティーヴ・ライヒなどのミニマル・ミュージックの作曲家は、サティの反復的な構造を参考にしました。
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環境音楽と現代音楽
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映画・CM・ポップスへの影響
- サティの作品は映画やCMで頻繁に使用され、ポップスやジャズのアーティストにも影響を与えました。
エリック・サティの代表曲
1. ジムノペディ(Gymnopédies)
- 作曲年:1888年
- 概要:サティの最も有名なピアノ作品で、全3曲から成る。
- 特徴:
2. グノシエンヌ(Gnossiennes)
- 作曲年:1890年
- 概要:全6曲から成るピアノ作品。
- 特徴:
- 「ジムノペディ」と同様に静かで瞑想的な雰囲気。
- 調性を曖昧にし、独特の旋律と和声を用いる。
- 楽譜には奇妙な演奏指示(例:「質問するように」「非常に白く」)が書かれている。
3. 家具の音楽(Musique d'ameublement)
- 作曲年:1917年
- 概要:背景音楽として機能することを目的とした作品群。
- 特徴:
4. パラード(Parade)
5. 梨の形をした3つの小品(Trois morceaux en forme de poire)
- 作曲年:1903年
- 概要:4手ピアノのための作品。
- 特徴:
- 7つの楽章から成るが、タイトルは「3つの小品」となっている(サティのユーモア)。
- 伝統的な形式を皮肉るような構造。
- 軽快で遊び心のある旋律が特徴。
6. ヴェクサシオン(Vexations)
- 作曲年:1893年
- 概要:短いフレーズを840回繰り返すという異例の作品。
- 特徴:
- ミニマル・ミュージックの先駆けとされる。
- 1回の演奏に10時間以上かかることもある。
- ジョン・ケージがこの作品を再評価し、現代音楽に影響を与えた。
7. 冷たい小品(Pièces froides)
- 作曲年:1897年
- 概要:2つの組曲から成るピアノ作品。
- 特徴:
- シンプルながらも独特の響きを持つ。
- 「冷たい」というタイトルは、感情を排した音楽を意図している。
サティの作品は、シンプルながらも深い精神性を持ち、後のミニマル・ミュージックや環境音楽に大きな影響を与えました。彼の音楽は、伝統的な形式にとらわれず、独自の美学を追求した点で非常に革新的です。
エリック・サティの生きた時代
エリック・サティが生きた時代(1866年~1925年)は、フランスの政治・社会・芸術が大きく変化した時期でした。彼の生涯を通じて、音楽、文学、美術の分野で革新が進み、特にパリは前衛芸術の中心地となりました。
歴史的背景
政治と社会
- ナポレオン3世の第二帝政(1852年~1870年)
サティが生まれた1866年は、ナポレオン3世の統治下でフランスが経済的に発展していた時期でした。しかし、1870年の普仏戦争でフランスは敗北し、ナポレオン3世は退位。これにより、**第三共和政(1870年~1940年)**が成立しました。 - パリ・コミューン(1871年)
普仏戦争後、パリでは労働者による革命的自治政府「パリ・コミューン」が成立しましたが、政府軍によって鎮圧されました。この事件はフランス社会に深い影響を与え、芸術家たちの思想にも反映されました。 - 第一次世界大戦(1914年~1918年)
サティの晩年には第一次世界大戦が勃発し、フランス社会は大きな変化を迎えました。戦後、フランスは文化的復興を遂げ、前衛芸術がさらに発展しました。
芸術と文化
- 印象主義(1870年代~)
サティが音楽活動を始めた頃、フランスではドビュッシーやモネらによる印象主義が台頭していました。サティはドビュッシーと親交がありましたが、印象主義とは異なる独自の音楽スタイルを確立しました。 - 象徴主義(1880年代~)
詩人のポール・ヴェルレーヌやステファヌ・マラルメが象徴主義を推進し、サティもこの流れに影響を受けました。 - ダダイズムとシュルレアリスム(1910年代~)
第一次世界大戦後、ダダイズムやシュルレアリスムが登場し、サティはジャン・コクトーやピカソと協力してバレエ「パラード」(1917年)を制作しました。
サティの時代における音楽
- ロマン派音楽の終焉と新しい音楽の誕生
19世紀末にはワーグナーやブラームスの影響が強かったが、サティはこれらの伝統的な音楽に反発し、シンプルで斬新な音楽を作りました。 - フランス六人組(Les Six)
1920年代には、サティの影響を受けた「フランス六人組」(ミヨー、プーランク、オネゲルなど)が登場し、彼の音楽スタイルを継承しました。
サティの生きた時代は、フランスの政治・社会・芸術が大きく変化した時期であり、彼の音楽はその変化を反映した革新的なものでした。彼は伝統にとらわれず、独自の美学を追求し、後の現代音楽に大きな影響を与えました。
エリック・サティに関する書籍
1. 『楽天ブックス: 卵のように軽やかに - サティによるサティ』
- 著者:エリック・サティ、秋山邦晴
- 出版社:筑摩書房
- 発行形態:文庫
- 発行日:2014年11月10日頃
- 概要:サティ自身の言葉を中心に、彼の音楽や思想を紹介する書籍。彼のユーモアや哲学的な視点を知ることができる。
2. 『エリック・サティ詩集』
3. 『エリック・サティ覚え書』
4. 『エリック・サティ覚え書』

